サラダ
「我々はあなた方の、畑をひどく汚してしまった。どんなことをしても償いきれるものではありません。せめてもの償いとしてこれをお受け取りください。」
政治家は持っているお金を全て差し出した。家も家具も車も服も隅々まで売ったため、とても政治家には見えなかった。
「私の畑はひどく汚れてしまった。もとに戻るまでに100年はかかるでしょう。私の生きているうちにはもう野菜を作る事は出来ないかもしれない。私が野菜を作る事は子どもたちを危険にさらす事でもあるからです。」
農家のおじさんには、怒りと悔しさの感情を過ぎ、1つの決断に達した人が持つ強い軸を感じる事が出来た。
「いえ、野菜は作り続けて下さい。確かに子どもたちを危険にさらす事は出来ません。しかし、大人には子供ほどのリスクは無いし、こうした結果を生み出してしまった責任もあります。あなたが作った野菜は全て私が買います。」
政治家にも限界の責任の中で考え抜いた信念を持つ意志の強さがあった。
長い間、沈黙が続いた。深い海の底で自分の心臓の音を聞くような
消えかかっている命とも、まだ生きている証とも、とれるような苦しい沈黙だった。
「分かりました。危険を承知の上で私の作った野菜を食べるというのならそうしましょう。私は誰よりもおいしい野菜を作る事が出来る。」
農家のおじさんのプロフェッショナルな目が政治家を射抜く。
「承知しています。あなたは誰よりもおいしい野菜を作る事が出来る。だからこそ私はあなたの野菜を日本から失うわけにはいかないと考えています。どうか私のため日本のためにおいしい野菜を作り続けて下さい。」
政治家のプロフェッショナルな目が農家のおじさんに重圧を投げ返す。
対談のあと、農家のおじさんは枯れた畑に立って一人で泣いた。
もう一度私は野菜に全力を注ぐ事が出来る。
放射能の事は関係なく、世界一おいしい野菜の事だけを考えていた。
まるで農家を始めたばかりのあの頃みたいだ。と思った。
農家のおじさんは、政治家からもらったお金と時間の全てを野菜作りの研究にあてた。
前々から一度、生活の事は考えず、育ててみたい作品がいくつもあった。
そしてある日、農家のおじさんから今はもう政治家ではないおじさんの家に野菜が届く。
こんなにも野菜がおいしいとは。
ただ野菜を食べているだけなのに涙をこらえる事が難しかった。
私たちは困難に打ち勝つ事が出来たのだ。
ダンボールを開けると土もよく払い落とさずに野菜を食べ続けた。
空になった箱の底を見て、政治家はついに泣き崩れた。
箱の底に「全部食べてくれてありがとう。もう一度立候補して下さい。」
とメッセージが書かれていた。
もう一度私は政治活動に全力を注ぐ事が出来る。
私には今やるべき事がはっきり見える。
まるで初めて立候補したあの頃みたいだ。と思った。
政治家の努力により、比較的高価であるにも関わらず、劇的においしいおじさんの野菜を、
日本中の多くの大人が食べるようになり、子どもたちは早く大人になっておじさんの野菜が食べたいと思うようにまでなった。
それほどまでにおじさんの作った野菜は革命的においしすぎたし、政治家の情熱は革命家そのものだった。
100年後、政治家と農家のおじさんはもうこの世にはいない。
2人の作り上げた野菜たちが全世界に出荷される。
「野菜がこんなにもおいしいとは。」
世界中のレストランでサラダに拍手が起こる。