VOCA展 制作過程1

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「居場所を知ったものたち 1 (制作途中)」

112.0cm×160.0cm キャンバス,油彩

2017年3月11日~3月30日上野の森美術館で開催されるVOCA展で作品を展示します。

VOCA展全国の美術館学芸員、研究者、ジャーナリストなどが作家を推薦し、推薦された作家が新作を展示する展覧会です。

展覧会は来年ですが作品の提出は11月下旬。 もうすぐです。



僕にとって一番大事なものは間違いなく子ども達です。

でも一番やりたいことは子育てではなくて絵を描くことです。

ところが子ども達をほったらかしにして素晴らしい絵が描けたとしても僕は全然嬉しくない。

この葛藤僕を苦しめたりエネルギー源になったりします。


子ども達の未来は僕が今日どう生きるかで大きく変わる。

子ども達に今日どう接するかで僕の作品は大きく変わる。


特に大きい絵を描く時は試合で戦うような気持ちで描いている。

ところが試合中に” 娘が微熱でいつもより元気が無い” と保育園の先生が言う。

妻はもうこれ以上仕事を休めないと言う。

それなら僕がなんとか早く迎えに行ってあげたい。

娘は今ごろ医務室で一人で遊んでいるのだろうか。

僕に最終ラウンドまで戦う時間はない。

判定勝ちではだめだ。

最終ラウンドを待たずにKOして娘を迎えに行かなければならない。

勝ちを急げば逆に負ける確率も高くなる。

とか言って子どもを言い訳にしてはならない。

どうせ僕はもともと持久力のない選手なのだから。

どちらにしても早く決着をつけなければ良い作品は描けないのだ。

さらに全神経を試合に集中させていこう。

他のことは一切考える余裕はない。

そんな時に今度は友達から連絡が入る。

そういえば僕から遊ぼうと誘ったのだった。

「こんな時に何を言ってるんだ。」とキャンセルのメールを返す。

「でも一瞬でもあなたと遊びたいと思った。それが伝わっただけでも僕は嬉しく思う。」

なんとかオシャレに断れた。

ワークショップを離れて一人で制作に集中するとどんどん性格がだめになる。

まあいい。最高の絵が描ければ何もかもが報われる。

これでワークショップで良い人だと思われすぎた誤解も解けるだろう。

今の僕は完全に究極に自分そのものになりきれている。

余分な感情と動きは削られて完璧に本能と一体になって動けている。

今度は携帯を機内モードにして集中力を高める。

15分後、奇跡的なインスピレーションが降りて来る。

昨日の僕には想像も出来なかった閃きだ。

これだ。

今すぐそれを試そう。

と思うより先に体は動いている。

一心不乱に閃きをキャンバスに閉じ込める。


試合を終えたらすぐに車を走らせ保育園に向かう。

車を運転しながら「たぶん勝った。確かに勝ったはずだ。」と僕は思う。

水泳大会でゴールして記録も見ずに体も拭かずに水着のまま車に乗り込んだみたいな気分だ。

又は銀行強盗をしたあとで大慌てで車を走らせている時、

まだいくら盗んだのか確認出来ていない時と良く似た気持ちだと思う。

よく見れてないし、よく覚えてないけど確かに僕は今、凄いのを描いた。

今やり遂げた仕事をじっくり眺める暇もない。

でもさっきの僕は神がかっていた。

あれは素晴らしい時間だった。

そんな放心状態のまま何とか保育園にたどり着く。



娘が手を広げて抱きついてくる。

「待たせてごめんね。えらかったね。本当によく頑張った。お父さんはその10倍は頑張ったけど。」
僕は娘を抱きしめる。

全然元気そうだ。僕より元気そうだ。

僕はようやくほっとする。

ほっとすると徐々に周りが見えてくる。

ここは娘の保育園、季節は秋だ。と僕は思う。

「風邪がはやっているので明日はお休みできますか?」

と先生が僕に聞く。

世の中のお父さんはそんなに急に頻繁に仕事を休めるのだろうか。

それとも僕が画家だと思っての発言か。

本気で絵を描くということがどういうことか教えておくべきか。

一度ここへワークショプしに来た方が良いのではないだろうか。

つまりこれは遠回しに僕にワークショップを依頼してきているのだろうか。

”いや、深読みし過ぎだろう。”という答えを数秒で僕の脳がはじきだす。

「午前だけ時間をくれたら午前中だけで何とかします。僕ならやれます。昼まで娘を頼む。」

明日も僕には時間がなさそうだ。


僕は寝る時間や食事の時間を削ったりは絶対にしない。

時間とは命を分割したものであり、体を壊すと命そのものを縮めることになるからだ。

つまり時間がないならないほどきちんと食べて寝るべきだ。

僕には命の長さを最大限に伸ばさないと成し遂げられないことがある。

その為には毎朝目覚めた瞬間にベストコンディションでいなければ間に合わない。


子ども達は本当に良く頑張って育っている。

あとは僕がこの試合に勝つだけだ。

この作品を成功させることができたら僕は子ども達にもっともっと優しくなれるだろう。