幸福の朝

胃カメラを飲みながら、意識が遠のき、パリで歯が痛すぎて倒れた時の記憶が蘇った。

保険が利かず病院にも行けず、ベッドの中で包まって、これが最悪の状態なんだと知った。
この苦しみに比べれば、どんな悩みも、悩む元気があるだけ幸せなことだと思った。
体のどこかが激しく痛めば、何も考えられない。悩むことすら出来ない。
どんなに大きな悩みだって、悩めること自体幸せなんだって思い出した。


最近それを忘れていたのかもしれない。健康に生きているだけで幸せなのに、もっともっとと欲を出してしまう。

これはその罰だと思う。

夜中の2時半、胃の痛みに耐え切れず、救急車を呼ぶ。
近所迷惑になるのでくれぐれもサイレンは切るように言ったのだけど、サイレンを鳴らしながらやってくる。

「最後の地上」の絵の前に救急隊が並ぶ。搬送先の病院を探す間、3人の救急隊は絵を眺めていた。
それは僕ではなく、水に浮かぶオフィーリアを助けに来た様で素敵な光景だった。

病院の夜、隣に運ばれてきたおばあちゃんもかなりつらそうだった。
僕はそのおばあちゃんと競うようにナースコールのボタンを押した。
そのたびにやさしい看護婦さんが駆けつけてくれた。

日本にいる安心感、ここが僕の国なんだと思った。


今日は久しぶりに元気な朝が来た。
今は元気な体で気持ちよく朝を迎えられれば、もうこの上なく幸せを感じる。
神様はそれが言いたかったのかもしれない。
それにしても痛すぎた。絶望して真っ暗だった。
もうこれ以上下がない所というのは、絵がうまくいかないことでも、お金が無いことでもなく、健康を損なうことであり、健康に生きていけることだけで喜ばなければならないし、喜べないのは欲張りすぎだとも思った。

後3日もすれば完全によくなるだろう。だけど感謝の気持ちは今度こそ絶対忘れない。

よくなったら今日までの分、一気に爆発させる。

描く闘志、生きる喜び、最悪からの復活、画家としての自覚。