コロニー

その当時、僕は駐車場という概念を全く持たなかった。
花屋である僕の父はいつも店の前に路駐していたし
そもそも地球はみんなのものだと心の底から信じていた。

そういうわけで僕は駐車場は借りずに向かいのマンションの敷地内に車を停めていた。
駐車場はいつも決まった場所に車を停めたい人が借りるものだと思っていた。

ある日、この場所に止めないで下さいと書かれた張り紙がフロントガラスに張られていた。
一カ所をセロテープでとめられたそれは七夕の願い事のように風に揺れていた。
僕はそれを丁寧にはがしてたたむと助手席に置いてその願い事を却下した。

張り紙は日に日に粘着力を増す強力なものへと変わっていった。
もうはがすのも面倒なほどの粘着力になったのではがさずに僕は運転した。
僕はとても怒っていた。

張り紙にあきた頃、赤い三角コーンが僕の車に乗せられるようになった。
詳しく言えば、最初は前と後ろに挟むように置かれていたのだけれど、
いつからか角のように僕の車の上に乗せられるようになった。
いったいどこからこんなもの持ってくるのか、のけてものけても三角コーンは
毎朝僕の車に乗せられていた。

三角コーンにも飽きてきたある日、
僕の車に煮魚が乗せられていた。

煮魚はひからびて張り紙時代の数倍の粘着力を持っていたし匂いも放っていた。
煮魚を乗せて車で走ると窓からゴミ捨て場のような匂いの風が吹いてきた。
海の匂いとも似ているけれど目の前に煮魚が乗っているので
僕はとても悲しくなった。


そして今、僕は新しい車の購入の為に車庫証明というものを警察にもらいに来ている。
つまり、駐車場の概念が僕の中にしっかりと居座っている。
残念なことに地球はみんなのものではなくすでに
あらゆる場所はあらゆる誰かのものだった。


規定の枠に当てはまらないというのは、
規定の枠の中にあてはまれないのではなく
あてはめると違う結果が出ると言う意味で、であること。

僕はノートにメモする。


あらゆる人々のあらゆる場所で
人々は面白みの無い張り紙をやめてユーモアに満ちた煮魚を乗せるようになるかもしれない。



9.16wed~9.18fri

ラフォーレミュージアム原宿

「White Ceators Exhibition」内 ONE にて

http://www.exhibition-white.com