亀の日記と はじめに

雨上がり。空が壮大。


亀が歩いていたので僕は車の助手席に乗せた。
両手くらいある大きな亀なので少し怖かったけど僕が抱き上げると頭と手をうまく体に収納して
おとなしくしたので家の近くの池まで乗せて行くことにした。

この亀はたしか近くの池で見かけたことがある。
きっと大雨で池の境目が分からなくなって迷子になったのだろう。

亀が車内を歩き回らないように逆さまにして助手席の足もとにそっと置いた。

再び車を走らせるとカメは素早く体をひるがえし、助手席に登ったり後部座席に行ってみたり大暴れしてはしゃぎはじめた。

カメが暴れ過ぎる過酷な運転を終え、ようやく2つ池公園に着くと亀は池に飛び込んだ。
水面から頭を出していつまでもこちらを見ていた。


それからしばらくして僕は生まれてはじめて金縛りにあった。
内蔵ごと布団に押さえつけられる感じでとても驚いた。
霊感とか信じない僕は金縛りを力ずくで剥がして投げ飛ばした。


亀だったかもしれない。


となりを見ると亜矢子と咲くやが何事もなかったかのように寝ている。
いま投げたのがこの2人じゃなくて本当に良かったと安心して再び僕は眠りについた。



小品展「奇跡をあやつる為の日常」の入り口にはってある「はじめに」の文章をブログに載せて欲しいというお客様がいたのでここにこれから載せます。上のは関係ないただの日記です。
展覧会は22日までです。
 http://www.fukagawa-ippuku.jp/




池平徹兵 小品展「奇跡をあやつる為の日常」 はじめに



小さい作品というと大きい作品が凝縮された作品を思い浮かべますが,僕の場合

凝縮されているのは大きい作品の方で、ここにあるのは大きい作品に凝縮される前の姿です。


ちょうどこの会場にあるもの全部で大きい絵一枚分くらいになります。

つまり、この個展一個分が、大きな絵一枚分となります。


この会場にあるひとつひとつのどれもが主役であるように、

そして自然界の景色の中にどうでもよいものは1つもないように、

僕の大きな絵画の部分のひとつひとつもこのようにして成り立っています。


では小さいサイズに凝縮することは出来ないのかとよく聞かれます。

それは細胞があって僕がいて東京があって日本があって地球があって宇宙がある時に

宇宙を小さな細胞に凝縮出来ないのかという質問に似ています。

それはもちろん凝縮されているんです。

大きいものは凝縮されたもののさらに集合体であり、部分は全体の縮図になっています。