泥棒からの評価の使い方

僕はいつも相手がどれだけそれに人生をかけているのかを見る。

なので作品価格やワークショップの謝礼は高ければ高いほど良い。

それはひとつの基準として僕に作用し、やる気を倍増させる。

しかしたとえ金額が低くても人々の人生がかかっている度合いによって、僕のやる気は大きく倍増する。

つまりお金も含めて人々がどれだけそれにかけているかを僕は作品や自分に対する評価として捉え、作品制作のエネルギーの一つに加えることが出来る。

この作品次第で僕たちの未来は違ったものになる。と感じられる度合いが大きければ大きいほどいい。

そういったプロジェクトを優先させ、率先して僕が惜しみなく自分の人生をかけていく。

健康的な努力と勇気と才能と評価の使い方。

必ず素晴らしい作品を生み出す。と信じてあるだけ全部を注ぎ込もう。

才能の種 に 評価という水 を注いで良い作品を作る。

いつも評価=お金であるとは限らない。



なので島根県立美術館のOFFICE BACTERIAが盗まれた時、僕はあまり怒りが湧かなかった。

美術館の監視カメラと警備員の中で盗むのはリスクが高く、買うより難しい。

僕にはとてもまね出来ない。

買い物に失敗するリスクより、泥棒に失敗するリスクの方が遥かに高い。

買い物に失敗しても人生はだめにならないけど、泥棒に失敗すると人生がだめになる。

ものを盗むというのはそれだけ人生をかけた行為であり、盗んだ誰かは僕たちの作品にそれだけ人生をかけたということだ。

それだけの作品を作れたことを喜ぼう。

僕は全力で作品を作り、美術館は全力で作品を紹介し、泥棒は全力で作品を盗んでいる。
警備員は全力で警備したのか、警察は全力で捜査したのか、僕はいつも人々の全力度を計測し、全力じゃない人に対しては「もっとやれる」と怒るけど、みんな本気でやってるならそれでいい。


と僕が言うと誰にも共感されずに会議は次の議題へと移った。

きっとこの考え方は先を行き過ぎているのだろう。と僕は思った。


「試着して外すのをうっかり忘れて帰ってしまいました。」
と言えば逮捕されないようにしておきます。
その作品は世界に一つしかないから所有し続けるのも大変なはずです。
所有することに疲れたら安心して返品しに来てください。

いつかお会い出来ることを楽しみにしております。

捨てたら僕も怒ります。