世界は僕の描きたいもので溢れていて、僕が描き留められるのはほんの一部分。
「あけましておめでとうございます。」
10月に個展をした美術館の庭から湖へ向かってそう言ってみた。
もし、この湖に恐竜が現れたら、瞬く間にその感動は世界中を駆け巡り、
沢山の人がここに押し寄せるだろう。
僕はいつもこの絵を発表すればそういうことが起きると信じて描いている。
ところがそうはならなかった。
今年こそはそういう絵を完成させたい。
昨年は娘の「この花」が生まれた。
本気で喜ばせたい相手が増えたことは僕の力を圧倒的に高める。
アトリエの庭にみかんの木がある。
胃に突き刺さってくるようなすっぱさでずっと食べられなかった。
あまりのすっぱさにこれはみかんではないのかもしれないと思いはじめていた。
それが突然甘くなった。
秋に同じ庭にある甘い柿の木をみんなが褒めたからうらやましく思ったのかもしれない。
又はこの花と咲哉が揃ったからかもしれない。
とにかくみかんは肥料どころか水もあげたことがないのに突然おいしくなった。
みかんがこれだけの奇跡を起こしてきたら僕が応えないわけにはいかない。
なんといってもみかんの木は出会ってからこれまでで一番輝いているのだから。
僕はその姿を心から描きたいと思った。
みかんの木と向き合っていると沢山の小鳥がそこに滞在していくことが分かった。
それを見ているうちにだんだん小鳥のお腹の柔らかい部分を描きたい気持ちがみかんを描きたい気持ちを超えてきた。
「これだから描きたいと思った瞬間に描かないと、5分後にそれは一番描きたいものではないかもしれない。」
といつも僕は思う。
こうなったら、いくらみかんが途中であっても小鳥のお腹の柔らかさを描かなければ本当ではない。
僕は僕の制作意欲に対して忠実でなければならない。
小鳥のお腹をふわふわにしていると今度は飛び立つ小鳥とそれを応援する小鳥を描きたくなった。
こうして一番描きたいものだけをキャンバスに加えていく。
シエスタ以来、一年ぶりの大作の制作となる。
どんな明日が来るのか、どんな絵が完成するのか全然分からない。
みかんが突然甘くなったように毎日人は生まれ変わる。
ようこそ2016年一月の世界へ。