市民水泳大会。
なんとか3位に入賞。
こんなに呼吸が乱れても過呼吸にはならなかった。
8年かかって自律神経失調症からの完全復活。
8年前、病気になった僕は自律神経失調症について毎日検索した。
一人でもいいから復活した人を見つけて希望を持ちたかった。
一人でもそういう人がいるなら自分も治るかもしれないと思えるから。
しかし見つかるのは辛い闘病生活と、それでも頑張ろうと励まし合う人々の記事ばかりだった。
なので僕はここではっきり言う。
僕は復活した。
一ヶ月前。
「水泳大会に出るからクロールで申し込んで。凄い記録が出るかもしれない。」
オリンピックを見ていた息子の咲哉が言う。
それは彼が25mクロールを泳げるようになる前のことだった。
「咲哉はまだ背泳ぎしかできないでしょう。背泳ぎにしたほうがいいよ。背泳ぎが向いてるよ。」
と僕はどうにか背泳ぎにしてもらおうと勧める。
「いや本当はクロールの方が向いてると思う。」
と咲哉は言う。
水泳大会までに25mクロールを泳げるようになるだけでなく優勝を視野に入れているのだ。
僕が画家になると決めて1枚絵を描き終えた段階で、島根県立美術館へ個展を申し込みに行ったあの日のように。
咲哉は予告通り25mクロールを泳げるようになった。
でも記録は40秒くらい。
40秒は咲哉が通うスイミングではクロール合格基準ぎりぎりのタイムだった。
それでも彼が目指すのは優勝だった。
まだクロール合格もしてないのに。
いよいよ試合当日、そこは40秒どころか30秒を切るのがあたり前の世界だった。
さすがに咲哉も緊張しはじめた様子だった。
選手コースの子に混ざって25m泳げるようになったばかりの咲哉が控え室に座っている。
圧倒的な力の差を見せられて自信を失わないと良いけど。
ところが咲哉は互角に戦った。
なんと記録は28秒。自己記録を12秒も縮めた。
メダルには届かなかったけど届きそうな勢いだった。
こんなに人は急に進化出来るのだと僕は感動した。
いくら褒めても褒め足りないくらい凄かった。
「お願い。お父さんも出て。メダルが見てみたい。」
悔しそうな咲哉が言う。
こうして僕は15年ぶりに本気で泳ぐことになった。
結果は後半の体力が保たず、2人に追い抜かれて悔しい3位。
「ごめん。負けてしまったね。」
僕はどういう顔して咲哉に会えば良いか分からずに観覧席へ戻った。
「お父さん3位だよ!メダルがもらえるよ!」
咲哉は興奮していた。
家に帰ってからも銅メダルを首から下げてみたり、部屋に飾ってくれたり
「メダルはこんなに重いんだね。」
と嬉しそうだった。
そして次は自分がメダルを取るイメージをしっかりと頭の中でしているようだった。
なんてかわいい子だろうと僕は思った。
いつか咲哉と2人で優勝したい。
絵は母校の八幡南高校水泳部に頼まれて描いたドローイング。
2016 紙に油彩 イワナと白熊を合わせた「いわなっくま」