トンネルの向こうの老人ホーム

製作中の新しい大作もいよいよ最後の仕上げの段階に入ったので、その前にいつもの地下道へ行く。

昔トロッコが走っていた細長いトンネルが5つ続く山の中へと入る。

今日はトンネル内に霧が立ちこめている。引き返したくなるほどの人を寄せ付けない空気。
ここでは自転車のペダルを漕ぐ音も、足音も轟音となって僕の恐怖感を増幅させる。僕は静かに静かに音を立てない様に奥へと進む。
昨日雨の名残で、あちらこちらから地下水が落ちてくる。その地下水が作り上げたつららと苔の芸術。
それと自分の作品の完成度を競わせることが、この地下道を見つけて以来、最後の仕上げの儀式となっている。
僕が成長する様に、トンネル内の自然の芸術も日々進化する。

いつもはここで帰るのだけれど、今日は洋館を見つけた。今まで何度も足を運んでいるのにその道は通らなかった。
建物がタイルのモザイクや彫刻に覆われていてイスラムのモスクとサクラダファミリアを合わせた様な外観。埋め込まれたステンドグラスの奥にかすかなシャンデリアの明かりが見える。ちょっとオシャレなカフェとかレストランとかそういうレベルじゃなくてただ者じゃない建築物だと僕は判断した。
「向台老人ホーム」と表札に書かれている。庭の辺りまで入ってみるけどやっぱり引き返す。トンネルから出てきたばかりの僕の見た目はあまりに少年だった。これではただの不審者になってしまう。これを建てた人はきっと立派な建築家で僕は不審者で、それではかっこ悪過ぎるし、画家としての選手生命に関わると、その建物が言っていた。

いったんアトリエに戻って、敬意を表してスーツとネクタイにハットの正装に着替える。鏡の前に立つと立派な紳士になっていたので、もう一度そこへ行ってみる。これなら多分大丈夫。僕は一人の画家としてその建築物を讃えるため、ステンドグラスのはめ込まれた立派な木の扉を開く。

女性の院長さんがとても親切に、とても丁寧に館内の隅々まで案内してくれた。梵寿網という建築家によって建てられたことや、ここは無宗教であることや7月に納涼祭があることなど話しながら僕たちは歩いた。ホールではおじいちゃんおばあちゃんが歌を歌っていた。そして霊安室に入った時、僕はフランダースの犬の最後のシーンの様になりかけた。その部屋だけ突然天井が3階まで吹き抜けになっていて、いろんな色彩を放つ天窓と彫刻作品の寝台が一つ。「ここでみんなでお別れの会をするんですよ」と院長が言う。


動けば世界も動く。止まれば世界も止まる。久しぶりに着たスーツをケースに入れながら今日一日を振り返る。
そして作品の最後の仕上げに入る。