電話帳を燃やす少年

しんと静まりかえった展覧会場で空調の音だけがやけに大きく聞こえる。
それは僕に貸し切りのプールの底で聞く、自分の血液の循環する音を思い出させる。


ある人から電話帳を燃やす少年の話を聞いた。


そのころ少年は日々、世界に小さなゆがみを感じていた。
それは日常生活の中ではほとんど気付く事のない小さなゆがみであり、
ふと立ち止まった時にはとても大きなゆがみとして少年の上に覆いかぶさる事もあった。
ちょうど今日の空調の音のように。

少年は世界をひっくり返したい衝動と、
子供の自分の力量との狭間でその音を聞いていた。


携帯電話の普及していないその時代、町には至る所に電話ボックスがあった。
そこにはずしりと重たいタウンページが置かれており、その中には
無限に枝分かれした世界を包む情報が集約されているかのように思えた。
まるで世界の縮図がそこにあるかのように。

少年はその一冊の比喩を電話ボックスから盗むと海へ走った。
月あかりの浜辺にそれを置くとポケットからマッチを取り出し火をつけた。


少年は幾度もそれを繰り返し、
毎回少し離れた場所から小さな炎を眺めた。
しんと静まりかえった暗闇で炎の音は遠くまで大きく聞こえた。
世界の縮図が灰になる音は
少年の血液の循環する音と重なりやがて波の音に消された。


「素晴らしいお話をどうもありがとう。」
子どもにもどった目の前の少年に僕は言う。

展覧会場には空調の音が鳴っている。


明日、音楽家が音を届けにやって来る。