問題No1(解決済)

問題No1 (解決済み)


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僕の自律神経が帰ってきたことを亜矢子は涙を流して喜んだ。そして咲哉を産んだ。
そして咲哉が支える僕の自律神経はもうどこへも行かない。

「自律神経出張中です。」

そのようなわけのわからない診断が僕にくだされ、安定剤が処方されたのは今から約2年前になる。

そのころ僕はそれについてほとんど何も知らなかったので、出張中の自律神経が帰って来る方法をパソコンで毎日毎日朝から晩まで調べた。
何と言っても自立神経が出張したままでは、すぐに過呼吸と腹痛に襲われるので、家から半径500mの距離を行動するのもきつい状況に追い込まれていたし、それは画家としての選手生命どころか人間としての選手生命の危機をも意味していた。

僕の動ける範囲は電車に乗らなくてすむ距離から、500m、200mと狭められ最後には布団から出られなくなるのではないかというところまで僕はその病気に追いつめられていった。

振り切ってやろう。
自宅の布団の中からは気が遠くなるほど離れた場所へ。
布団の中で小さくうずくまった僕は呼吸と戦いながら決意する。
地震かと思うくらいに心臓の鼓動が僕の体を揺らしていた。


そして、僕はパリへ行った。

しかしそれはどこまでもどこまでも追ってきた。

南仏のアルルの街角で出張していた僕の自律神経とばったり出会う。

「随分探したよ。」
と僕は言った。
「それだけの価値はある。」
そう言うと僕の自律神経は再び僕の中に帰ってきた。

彼の言うとおり、それだけの価値はあった。

僕の自律神経は出張中にいくつもの新しい力を身につけていたし、自律神経が不在中の僕もまたいくつもの新しい力を身につけていた。

そして僕たちはそれに勝った。

正確には今日も勝ち続けている。

もっと早く話せばもっと早く楽になれる人は多かったのかもしれない。
けれども、もし話すと僕が勝ち続けることが困難な状況にあった。




「もしそれが自律神経失調症が原因なら治るから心配しなくていい。」


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ある種の人間には水疱瘡とはしかの他に自律神経失調症が含まれる場合がある。
日記を書き終えた僕はようやくそれを終えたことを知る。
問題No1に(解決済)と記入する。
僕は問題No2の解決にとりかかる。そしてNo2はNo1の100倍難しい。

いつだって起こる問題はそれくらいに手強い相手に見えるけど
勝てる見込みは全然0じゃない。