散歩についての研究

F10号の額縁が家の窓の大きさとぴったりサイズが合うことに気がついて、窓枠を絵の額縁にした。

心地よい風がベランダの窓からさっき額縁を取り付けた窓へ吹き抜ける。散歩の季節が来た。

心の内に潜む巨大な絵画を覆う厚い雲。
その層を一つ一つ剥がして表に出していくには特殊な道具が限りなく沢山必要で、それを探しに僕は散歩に出かける。
その道具は身近な植物園に落ちていたり、国境を超えた遠い町の下水道の中だったりもする。

絵で食べていけることが凄いわけじゃない。そんなものよりはるかに凄いものが、心のうちにあることを絶対忘れてはいけない。
だから僕は今日も道具を探しに散歩に出かける。

時々誰かに行く先を教えて欲しくなることがある。
でも誰かに行く先を教えられると逆らいたくなる。
大変だけどこの先もずっとそうなんだろうと思う。

画家としてやり遂げなければなら無いことは、画家として収入を得ることでもなく、個展の成功でもなく、最高の絵を生み出すこと。
国境を超えて時代を超える絵をこれから何枚描く事ができるだろう。
そのための製作をしなければならないし、そのための散歩をしなければならない。
そのための散歩は、裕福になることより、偉くなることより、やりたい事を沢山やるより、ずっと大切で、全人類の次の時代のアートへの第一歩は、僕の散歩の一歩一歩にかかっていると思い込むくらいでないといけない。

そして持ち帰った道具で雲を剥がして巨大な絵画の一部分を表に出す。
もっともっとと思うけど焦ってはいけない。
無理に剥がすときれいに剥がれない。
それに全部を剥がすには一生かかる。
そして全部を剥がし終えると同時に一生が終わる。
だから焦ってはいけない。

これが今日まとめた研究の成果。5/29