子供と先生と僕の線

授業が終わった夜、小学校の先生から電話があった。
その声は、最近聞いたどの声よりもわくわくしていて僕が命がけの散歩を終えた時の声そのものだった。


僕の絵やgO君のライブを見た後、3m×10mのキャンバスにみんなで線を描いた。
子供達は僕達の絵や音楽に目を輝かせ、線について一緒に考えてくれた。
大事なものを沢山思い出させてくれた。
お礼に僕は思いつく限りの画期的な扉を空になるまで出してみせた。
「僕はこれを開ける事が出来る。代わりに開けてはあげないけどね。」
3時間の授業の中で次々に子供達は扉を開けて旅立っていった。


「先生方の僕に対する、怒り 不安 緊張感 全てを含め僕の作品です。」
担当の先生は僕の発言一つ一つに顔が青ざめていく。
亜矢子の母が美術館での結婚式で倒れたように。
でも一週間、一年、時が経てばたつほどそれは輝く記憶になる。


コンビニで朝日新聞と読売新聞を読んでみる。
新聞なんて普段読まないのでポーズがなかなか決まらない。
自分なりの新聞を読む姿勢をどうにか探す。
『若手芸術家が授業 思い思いの線描く。』という見出しを見付ける。
「僕にはフェルトペンの声が聞こえる。」
と僕は新聞の中で言っている。


後は僕が責任を持って、子供達の未来で画家として存在すればいい。
この授業は一生続く。


昨日、僕は僕のために授業をした。
80人の生徒と、先生達は今後僕の右手に宿る。


小学校のみなさまありがとうございました。
今日の僕は世田谷で政治家と線を描いているよ。
みんなも頑張ってね。