依頼

別に何処か具合が悪いわけではないけれど、go君と静かな病院のリハビリセンターで花見をしていると、サッカーボールが転がって来たので、患者にとけ込むのを辞めて、本気でサッカーをしてしまったため、体がとても痛いまま丸木美術館の搬出に向かう。
高速道路を走ると何処か遠い場所のいろんな記憶が僕へ入り込む。


1999年、僕はとても追い込まれていた。
たった数枚の絵を描くだけで僕は画家にならなければならなかった。
僕がいくつかの海の絵を描くと人々は奇跡だと言った。
絵を取り付けた額縁屋さんも、美術館の警備員も、駆けつけた雑誌の記者も、その雑誌の写真を見た人々も。
海の写真よりも、実際の海よりも、その絵は海だった。
あっという間に波紋は何処までも広がるかのように思えた。


高速道路を無事終えて丸木美術館に着くとファンの方からの贈り物がいくつか届いていた。
何故かモンゴルの民族衣装や、木彫りの鴨だったりが届いていた。
いったい誰が何故これを僕にプレゼントしたのかを考えていると、水の発明家から電話がかかって来た。
水の発明家は毎日水の研究をして水を作ることに人生をかけている。
水について絵について人生について僕達は気が合う。
相談があると言う。


2003年美術館で個展の準備をしていると、一人の女性が泣きながら駆け込んで来た。
子供を交通事故でなくしたのだと言う。
それほど深い痛みを僕は知らない。何一つかける言葉を僕は持ち合わせていないことをすぐに察知したので僕は何も言わない。
私を救えるのはあなたの海の絵だけですと女性は言う。
その時の僕にそれを断れるはずも無かった。


水の発明家が全力を尽くした建物が駿河湾の海辺にもうすぐ完成するらしい。
海と空に突き出したその建物に海と空だけの絵が必要なのだと言う。
「出来る?」
「出来ると思う。」
ミノムシは応える。いつかの会話を僕が思い出していると、
「他のものを描いた絵がダメとかじゃなくて、ただ海と空だけの絵が必要なんだ。」
と水の発明家は僕に言う。
「そしてそれが出来るのは僕しかいない。」
僕は思う。


僕はその女性のために海を描き始めいったんは完成させるが結局できないと言う。
そして救えると思った自分を恥じた。
それ以来、僕は誰かのために描くことなどはしない。
「僕は僕のために描いている。」
聞かれもしないのにわざわざ僕は言う。
感じ悪くならないように出来るだけチャーミングに言う。
ただ桜のように僕はありたい。
いつからか僕は僕の海の絵へ、恐怖を感じるようになり、それを封印する。


あれから4年の時を経て、今、僕は海の絵を描いている。
気を抜けば、いつかの記憶が蘇り、いつかの僕に逆戻りするだろう。
だからこそぼくはそれを超える必要がある。
「自分のためにそれをやる必要がある。」
今回も何かの儀式のようにちゃんと水の発明家に僕は言う。
僕の求めていた恐ろしく大きな壁とは僕の中にあった。


過去の自分と決着をつける。


いつもの近所の山に、カレー用の器を拾いに行くとカワセミが僕を待っていた。
突然の再会に初対面の時と同じように僕は驚く。
「この青描ける?」
カワセミがこの前と同じ質問を繰り返す。
「もう描いてるよ。」
僕は言う。